こんにちは( *・ω・)ノ

基本的にはネット情報も余り載せたくないのですがマスメディアやネット情報の真偽をも確かめずに都合の良いことや理解出来ない「負」の情報だけは盲信している人達ばかりだからです。

全てではありませんが確りと読解して吟味して頂きたい記事がありましたので長いですが削除も早いと想いますので原文載せました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/7f8bb85aab73c899bedf2da34f8d5cc2e8aa3bbe

 

メディアは「共感」や「同調圧力強化」を求めて動くな 新型コロナワクチンの報道に精神科医が注文
1/30(土) 12:35配信

日本のメディアは真っ当な新型コロナワクチン報道ができるか試されている

新型コロナウイルスの流行が早く収束してほしいという願いと同時に、このまま終わってほしくないという矛盾した「コロナロス」を抱えてしまう心理。

メディアがそれを煽るような報道をしているのはなぜなのか。

筑波大学大学院社会精神保健学分野教授の精神科医、斎藤環さんに分析していただきました。

ウイルスそのものより、ウイルスがついた人を遠ざける「ケガレ」の意識
メディアと医療者に注文を投げかける精神科医の斎藤環さん

ーー新型コロナウイルスのような災厄をマイナスばかりには捉えないという「適応力」が日本人にはあるという見方を伺いました。一方で、「自粛警察」やマスクをしているかどうかの互いへの監視、コロナに関わる医療者への差別なども広がっています。それはコロナを遠ざけたい、コロナを忌み嫌うという心理の現れに見えますが、そこは矛盾しないのでしょうか?

それは「ケガレ(穢れ)」の意識だと思います。

穢れ意識では、ケガレそのものではなく、ケガレに触れた人、近づいた人を憎み、自分のテリトリーから排除する。そういう方向に向かいがちです。

医療者差別という、他国ではあり得ないような現象が起こったのも、ケガレに近づいた人を排除するという心理ですね。

だからこそ、コロナそのものへの警戒心が鈍い人ですら、コロナに近づいた人や染まった人を過敏なほど排除し遠ざけるという矛盾が起こる。

ーーそれはコロナが続いてほしいという感情とは矛盾しないのですか?

ケガレは遠ざけておけば大丈夫という発想ですから。ケガレを根絶できるとは誰も思っていません。ケガレを遠ざければ、事態はうまく回ると考えるのです。

メディアは「共感されたい」を目的に動くな
ーー「コロナロス」ですが、自分をマイナスの状況に置くことで利益を得ようとする心理は、よくみられることなのでしょうか?

精神医療の現場ではよくみられる現象です。「疾病利得」という考え方がありますが、例えば思春期のお子さんが、親の注目や愛情を得るために病気であることをやめられず、症状を訴え続けるということはあり得ますね。

もちろん意図的なものではなく無意識的な過程ですが。

ーー新型コロナでは全員が被害を受ける可能性があって、ほぼ全員が予防のためのワクチンの対象者になると思います。マスコミがそれを阻むようなワクチンについて不安を与える情報を流し、不安を持ち続けることで利益になることはあり得るのでしょうか?

日本のマスメディアは、あまり公的な使命を果たすという意識が乏しいのかなと思わざるを得ないです。どちらかと言えば、人々に共感されたいという願いの方が強くて、「共感性」という観点で見ると「反ワクチン」の方が共感を呼ぶ。

医療者の怒りを買うといっても、全体から見れば一握りですから、遥かに多くのワクチンに不安を抱いている人の共感の方がずっとマジョリティです。

日本のメディアが人々の共感志向という原理で動く限りは、こういう変な報道が続くのかなと思います。これも日本に特異な現象だと言っていいかもしれません。

江戸時代に医師の緒方洪庵が種痘を普及させようとした際「種痘をすれば牛になる(牛痘ワクチンだから)」という流言飛語に悩まされましたが、令和の日本もあまり変わらない。マスコミが積極的に「牛になるぞ!」と喧伝するぶん、江戸時代よりも後退しているとも言えます。

欧米のメディアの報道を見る限りは、リスク・ベネフィット(利益と不利益)の客観的な評価はしていますが、医師や女子高生へのアンケートに基づいたワクチン批判の報道など、ほぼあり得ません。

ワクチンの評価は科学的になされるべきで、「うちたいと思うかどうか」みたいな情緒的反応に情報価値はありません。日本特有の茶番的な現象です。

ーーなぜ日本でそういう現象が起こるのでしょう。今回だけでなく、繰り返しています。

メディアがどちらの方を向いているかだと思います。一つ言えることは、日本は同調圧力が強い社会です。なぜかわかりませんが、日本のメディアは同調圧力を作り出す側に回りたがる傾向がある。

本来であれば、人々の同調圧力を打破するのがメディアの使命であるはずです。「社会の木鐸」というのはそういう意味です。共同体が生み出した誤った同調圧力に対して、誤解を正し、理性的な啓発を行うのがメディアの力だと私は思っています。

しかし、ワイドショーが典型的ですが、どちらかというと日本のメディアは同調圧力的な価値観を補強する方に動きますよね。

典型的なのは、コロナ禍初期にあったティッシュやトイレットペーパーのパニック買いです。テレビの報道がパニックに火をつけ助長したわけですが、彼らは嬉々として煽り続けたように見えます。

空気を作り出し、人々を煽動し、パニックを眺めて自身の影響力を再確認したがっているという見方は悪意が過ぎるでしょうか。マスコミそのものが、ムラ社会的な閉鎖性に自足しているとしか思えません。

目に見えない脅威への不安
ーーもう一つ、ウイルスは目に見えないもので、だから感染症は恐怖や不安も伝染しやすいし、増幅しやすいと言われていますがどうでしょうか? 東日本大震災の放射能に対するパニックも近いものがあるかもしれません。

「コロナうつ」という言葉も生まれましたが、その要因の一つは目に見えないものへの恐怖や不安がいつまで続くかわからない、ということから来るとも言われています。

そういった要因は大きいと思います。放射能の時と同じですが、これはケガレの意識にも同じ影響を与えているだろうと思います。

ただ放射能と違って、新型コロナに関してはワクチンという強力な切り札があります。しかもmRNAワクチンという非常に画期的なテクノロジーで立ち向かえる。その開発に至るストーリーも含めて、素晴らしい展開です。

しかし、このmRNAワクチンに関するわかりやすい解説が、新聞にもテレビにもなかなか出ませんね。バランスが取れた解説をもう少し大手メディアが載せてくれたら誤解も解けるのではないかと思います。

ーーハンセン病やエイズでもそうでしたが、感染症は不安や恐怖が強く喚起され、その不安に寄り添い、高める方向にメディアが動く状況になっています。

不安を増強させていますね。ワクチンに関しても、研究によってわかった効果より、不確実性の方を強調しています。

医療にゼロリスクを求めること自体が誤りなのですが、コメンテーターの「長期的に見て何が起こるかわからない」的な発言は、「ゼロリスクを保証しろ」という悪魔の証明じみた有害なコメントでしかないと思います。そういう人に限って抗ウイルス薬に期待していたりするのもおかしな話です。

専門家のコミュニケーションはどうか?
対立を煽らずに正確な情報を届ける、忽那賢志医師のような努力がメディアにも必要だ

ーーただ、HPVワクチンのコミュニケーションでも感じてきて、自分の反省点でもあるのですが、専門家は一般の人の不安に理解する努力が弱い気がします。不安も理解しながら正しい情報を発信するというより、叱りつけ、「お前は反ワクチンだ」「そんなナンセンスなことを言うんじゃない」と馬鹿にしながら上から目線で伝える。その振る舞いが人々を正しい情報から遠ざけているところもあるのではないでしょうか?

そこはとても問題で、医療者も反省すべきだと思うのですよね。

「ワクチンの副反応は詐病で、心因性のヒステリー反応のようなものだ」と頭ごなしに訴えを否定する医療者は問題があります。

やはり起きた反応に対しては、個別に丁寧に対応しケアする姿勢が必要です。苦しんでいる当事者の訴えを頭ごなしに否定する医療者はますます信用されません。こちらは副反応のエビデンスの有無とは関係ありません。

医療者の傲慢が人々から信頼されにくい状況を作ってしまっています。非常に高圧的だったり、権威的だったり、すごく偉そうに見えたりして、そこで傷つく人がいっぱいいるわけです。その結果、近藤誠さんのような既存の医療を否定する言説に引き寄せられてしまうのですね。

この構図を作っている半分の責任は医療者にもあると思います。私は医療者の傲慢さが「近藤誠」現象をもたらした側面が確実にあると考えています。

ただ、近年は若干トーンが変わってきています。ワクチン批判に対する頭ごなしの姿勢は弱まっていて、ワクチンにはこういうメリットがありますよということを丁寧に説明する医療者も増えている気がします。

忽那賢志さんの発信などはそうですね。

ーー忽那先生は丁寧に優しい言葉で専門的な話を噛み砕き、対立構造を作りませんね。がん医療でも主治医が突き放した結果、優しく不安に寄り添う偽医療に惹かれるという構図はあります。そこを教訓にしないといけないですね。

そうだと思います。医学的な正しささえ伝えればいいと思う医療者は、時に患者を突き放して反作用として偽医学に近づけてしまいます。医学的な正当性、専門性を錦の御旗にするような権威的態度には、反省があってしかるべきでしょう。

また、知識という点に限って言えば、専門家でもピンポイントでは「よく勉強した素人」にかなわないことは良くあります。そういう謙虚さも必要です。

今後、メディアや医療者はどう変わるべきか?
ーー正確な情報を必要な人に届けるために、メディアも医療者もコミュニケーションの問題をどうしていけばいいと思いますか?

医療者は今言ったようなバランスの取れた形でリスクコミュニケーションを図るべきでしょうね。偽情報に振り回されて不安の中にいる人に、適切な情報をどう届けていくかを、私の言葉で言えば「精神療法的なアプローチ」「対話的なアプローチ」で考えていく必要があります。

「エビデンスに基づいて正しいことを伝えてればいい。それを受け入れられない奴は勝手に死ね」と言わんばかりの態度を続けていたら、この対立構造は変わりません。どうしたら耳を傾けてもらえるか、医療者側も心を砕く必要はあるだろうと思います。

メディアの姿勢はもっと変わってほしいです。同調圧力や共感性をねらうのではなく、もう少し公共性を意識した啓発的な報道を心がけてほしい。

少なくとも新聞やニュース番組には、もっとそれを意識してほしい。ワイドショーに関してはもう言っても仕方ないので諦めています。

ワイドショーは新聞など「まともなメディア」が報じないことをフレームアップして報じるところに存在価値を見出しているので、いくら言っても変わらないでしょう。批判上等、炎上上等でしょうしね。私は引き続き「見ない、出ない、勧めない」の姿勢を貫きますが。

新聞やニュース番組には、もう少し正気の報道をしてほしいと思います。

自分もかかるかもしれない、死ぬかもしれないという状況をリアルに想像できれば、それを回避できるワクチンの価値を実感できないものでしょうか。

医師の中にも「私はうたない」と公言する方がいますが意味がわかりません。うたない自由は尊重しますが、周囲への影響への配慮はないのでしょうか。報道は両論併記でもいいですけれど、ワクチンがコロナ禍を終息させる確かな希望のひとつでもある、ということはきちんと伝えてほしいと思います。

政府のリスクコミュニケーションは?
新型コロナワクチン担当相となった河野太郎氏

ーー政府のリスクコミュニケーションはどう見ていますか?

日本の政府はリスクコミュニケーションが下手すぎると思っています。イタリアやイギリスなどコロナで惨憺たる状況に陥った国ですら、政府の支持率はむしろ上昇しました。

上がっている理由は、なんと言っても説明しまくるからですよね。何時間でも記者会見を開いて、すべての質問に率直に答える姿勢を示し続けてきたことはすごく大きかったと思います。

誠実に説明をし続ける姿勢があれば、人々の不安もかなり和らぐし、たとえ政策が失敗し感染が拡大しても簡単に支持率は下がらない。むしろ上がるという事例がこれほど世界中にあるのに、日本の政府は真逆の方針をとりました。

菅首相はディスコミュニケーションが芸風になっているような人です。それが今回は裏目に出ましたね。生粋の参謀役が総理になったら何が起きるかという「社会実験」はそろそろ答えが出たと言えそうです。

遮断することであのポジションに上がってきた人ですから、こういう危機の場面には向かないのですね。説明しないことが信条の人ですから。不安を掻き立てる方向にしか向かっていないと思います。

最近は方針を変えたようですがもう手遅れでしょう。

ーーワクチン担当相になった河野太郎氏はどう見えますか?

河野さんはコミュニケーションという点ではかなりマシかもしれませんが、記者会見の有名な動画のように、質問に答えずに「次の質問どうぞ」のようなことを平気でやるのはリスクコミュニケーションとして最悪です。相手の態度が悪いんだからそれでいいと思っているとしたら、かなりまずいと思います。

「ブロック太郎」の悪い側面ですね。せめて「ミュート太郎」くらいにしてほしい。

ーーメディアを敵にして、メディアに不満を抱く市民を味方につける戦略に見えます。

この状況下ではその姿勢はプラスにならないのではないでしょうか。分断統治っぽいメタゲームにしか見えません。とにかく平場に降りてきて、今起きている事実をあたうかぎり説明しつくす姿勢が大事です。いいことも悪いことも透明化を目指すことが重要です。

受けて側はバランスの取れた情報の摂取を
ーーこれから「コロナロス」は強まりそうですか?

「コロナロス」はあくまでも裏側の感情です。表に出ることはまずないと思いますが、そういう感情が存在し得るということを否認せずに認識しておくことは非常に大事だと思っています。

もちろん私自身の中にもないとは言い切れません。それを認識した上で、あくまでもコロナ終息にむけた情報発信をしていくことが大事です。その中でもワクチンは切り札中の切り札ですから、足を引っ張ってどうするのかとは思います。

ーー情報の受け手は何に気をつけるべきだと思いますか?

複数の情報源を確保して、バランスを考えながら情報を取り入れてほしいです。

そして、対立を煽らない、信頼できるニュースソースを頼ってほしい。忽那さんのような人を何人か定期的にチェックして、バランスを崩さないでほしいです。

人間は感情で動く動物です。自分の中に不安や怒りがあったりすると、Qアノンのような陰謀論もそうですが情報収集がどうしても偏ります。そこには気をつけてほしいと思います。

ーー対面でのコミュニケーションが取りづらくなっています。人の情報摂取の仕方に影響を与えているのでしょうか?

対面が減ったことによる影響の最大の問題は自殺の増加だと思っています。特に女性の増加率が大きいのは、これまで対面で愚痴をこぼすなどの援助を求める行動が取れていたのに、その機会が激減したからでしょう。些細なことなのですが、対面でしかできないことはたくさんあるのです。

それが激減したことで女性の孤立が進みました。男性は元々孤立しやすいのですが、コロナの女性への影響は大きいです。孤立や不安は人の心のバランスを崩しやすいし、冷静さを失わせやすいです。それが情報摂取の偏りの原因になっている可能性はあります。

依存症や引きこもりの自助グループもリモートの会合を開きながら対面機会を補い始めています。会議ばかりではなく、リモートの雑談会や愚痴をこぼし合う場面がもっとあると、少しは補えるかもしれません。

最近急速に盛り上がっている「clubhouse」なども、対面機会への渇望がブームにつながっているように思います。顔を見て、声をかわす機会をITが後押ししてくれることを期待しています。

【斎藤環(さいとう・たまき)】筑波大学大学院社会精神保健学分野教授
1961年、岩手県生まれ。精神科医。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、2013年4月から現職。

専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書は『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『心を病んだらいけないの?―うつ病社会の処方箋』(新潮選書)など多数。